イスラム教のスンニ派とシーア派がどう違うのか分からない人が多いでしょう。
関心がなければ疑問もわいてきませんが、中東に限らずイスラム教がこれほど取り上げられる時代になれば
否が応でもスンニ派とシーア派とはどう違うのだろうと思わざるを得ません。
その背景にはいろいろありますが、
貧困も大きなファクターです。
世界の
イスラム教徒人口は約16億人です。
そのうち
9割がスンニ派ですが、イラクでは国民の6割をシーア派が占めています。

もともとイスラム教分裂の起源は、だれがイスラム共同体を率いていくのかという問題に端を発しています。
イスラム教は610年にムハンマドによってはじめられた宗教で、ムハンマドは約22年間布教を行なった後に没します。
その後、指導者をめぐる争いが発生します。
こういう
跡目争いはどこにでもよくある現象ですね。
イスラム共同体では宗教指導者と政治的指導者が分離しておらずに政教一致の体制をとり、その指導者はカリフと呼ばれます。
ムハンマド没後、4代目のカリフまでは、争いごとはありながらも分裂することはありませんでした。
ところが4代目のアリーを境に、カリフはムハンマドの子孫であるべきだと主張する派(シーア派)と、子孫の中からではなく、話し合いによって皆から選ばれたものがカリフとなるべきと主張する派(スンニ派)に分裂してしまうのです。
その後、スンニ派はムアーウィヤをカリフに選出して、現在のシリアにウマイヤ朝を建設します。
一方、シーア派はアリーの子孫であるハサンとフセインを支持しますが、ウマイヤ朝と敵対することとなります。
3代目の指導者(イマームと呼ばれる)であったフセインはウマイヤ軍に滅ぼされて、戦死してしまいます。
こうした悲劇から、シーア派の人々はアリーの子孫であるイマームによって導かれる共同体こそが、神の支配を復活させると考えています。
ところで、スンニ派もシーア派も断食、巡礼、礼拝などの方法に違いはほとんどありません。
つまり
信仰上の違いはほとんど見られないというわけです。
では何故、シリアやイラクなどでは、シーア派とスンニ派が対決しているのでしょうか?
シーア派が問題視されるようになったのは、イラン革命以後です。
イランの対岸にある湾岸諸国は、国内に多数のシーア派の住民が存在しているために、イランが革命の「輸出」をして現政権の転覆を図るのではないかと危惧しているのです。
政権を握っているスンニ派に対して、シーア派はたとえ数の上で優っていたとしても、政治的には少数派となっています。
そのため、
国民国家建設の過程で富の分配にうまくあずかれず、貧困層となってしまっている場合が多いのです。
つまり、シーア派がスンニ派と対立するのは宗教的理由からではなく、経済的・政治的に劣位に立たされている現状を打破するために、団結して反政府活動を行なっているといえるでしょう。
だからこそ、
スンニ派の政権にとって、シーア派は「脅威」となっているのです。

日本の仏教の場合は、例えば
浄土真宗では秀吉や家康など為政者の方針でお西、お東と別れました。
しかし、仏教徒の中では大きな宗派であっても、もともと政治に関与する様な教えでもなく如何にして救われるかが重大事でした。
親鸞さんにしても、自分の教えの弟子たちがお互いに争うことなど考えもしなかったはずでしょう。
人間というのは何かにつけ対立し易いものですが、だからこそお互いを尊重して隣人を愛することはとても重要なことです。
宗教が政治に関与して争いの火種になることは、どんな宗教の創始者も考えもしなかったことでしょう!
そこで、ただただ
数珠を手にして南無阿弥陀仏と拝むことで救われる、というのは本当に分かりやすく有難いことでもあります。
一方では、こうした単純すぎることに対して人間というものは中々
簡単に信じ切れないというゴウを背負っている様でもあります・・。
posted by yasuucare at 21:04|
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浄土真宗 数珠
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