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2014年08月27日

焼香を禁止 台北・行天宮

焼香を禁止したのは有名な台北・行天宮です。
その理由が大気汚染なのです・・。


台湾のお寺では焼香の煙でモクモクというのがおなじみの光景なのですが、台北の有名寺院、行天宮は26日、境内の香炉を撤去し、焼香せずに参拝するよう来訪者に呼びかけました。


大気汚染への配慮といいます。
「英断」との評価の一方、ほかの寺院からは「まねできない」との声も上がっているようです。


行天宮は毎年600万人以上が訪れ、これまでは香炉が2基置かれていました。
台湾の寺院は一般の居住環境と比べ、微小粒子状物質PM2・5などの数値が5〜16倍高いという研究報告もあり、境内に長くとどまる熱心な信者やボランティアの間で煙による健康被害への不安も出ていたのです。


もともと焼香とは、仏や死者に対して香をたいて拝むことで、線香や細かくした線香、つまり抹香を焚くことを言います。
日本では仏教の宗派によって、焼香の回数や線香を立てるのか寝かせるのかの違いがあります。


台湾では焼香は立ち上る煙で天と結ばれるという意味もあるらしく、焼香の廃止は市民に複雑な感情を与えているようです。


焼香も数珠も気持ちの様な気がするのですが、罰当たりでしょうか・・?


ラベル:行天宮 台北 焼香
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2014年08月12日

まんだらけ

まんだらけが盗品を返さなかったら顔写真を公開すると警告しています。


マンガやグッズの中古ショップ「まんだらけ」が8月5日に公式サイトで行った「万引き犯への警告」が、話題を呼んでいます。
同社のサイトに、巨大な赤いフォントで、次のような警告メッセージが掲載されているのです。


「8月4日17時頃まんだらけ中野店4F変やで25万円の野村トーイ製鉄人28号 No.3 ゼンマイ歩行を盗んだ犯人へ」
「1週間(8月12日)以内に返しに来ない場合は顔写真のモザイクを外して公開します」


この警告文の下には、左肩にカバンをかけた人物の写真が大きく掲載されており、顔の部分にモザイクがかけられています。


かなりインパクトのある「警告」ですが、けっこう外野は喧しい様です。
確かに、まんだらけの気持ちはよく分かります。


ただ、犯人を捕まえるのは警察の仕事で、こうした警告は脅迫になるとも?


まず、犯人がこの警告を知っている場合と知らない場合で当然に対応が変わってくる感じです。
知っていながら出てこなかったら、それは自業自得です。
オープンにして晒されればいいと思います。


もし、知らなかったら、多少問題が残るのではと危惧します。


もしも時代劇ならば、大きな数珠を手にした和尚さんが出てきて、「カツ!」と諭せば目出度しめでたしなのでしょうが、現実はそんなに甘くはありません。


この犯人も一度数珠を手にしてみれば、心が休まるかもしれないと思うのですが・・。


bonn.jpg






ラベル:まんだらけ
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2014年07月04日

空海

空海の三教指帰(さんごうしいき)は、弘法大師空海の戯曲仕立てのお経処女作として知られています。


空海は仏教、儒教、道教を比較し仏教が最も優れた教えであると説いたのです。
まず、儒教は仁・義・礼・智・信という五常に基づき、人として生まれ立身出世するのが生きがいであるとします。
今の時代を見る思いです・・。


次に道教は、出世栄達などという世俗の処世術は低俗である。
そんなことよりも自由無為に生きる老荘の教えや、不老長寿や雲に乗って自由に空中を飛びまわる神仙術をやる方が生きがいになるといいます。
はぐれ雲的でしょうか・・。


それに対して仏教は、一切衆生が救われる道を説き、諸行無常と悟りの境地に至ることが最高の幸せであると説きます。
仏教が儒教や道教の上に立つと強調したのです。


私達は、好みも含めて色々と比較をします。
取捨選択とも言います。


私たちの生き方や考え方に影響を与える学問などについても同じく、受け入れやすいかどうかで判断するものです。


判断の結果、捨て去るものも多くあると思いますが、最近では相手を認めずに足蹴にする様な行動が多くなっていますね・・。
余り敵を作り過ぎると、集団的自衛権などと言ってグルになって相手を脅すような暴挙となりがちだと思います!


何事も比較選択をしながらも、確固とした自分の立ち位置に基づいたものを編みだしていきたいものです!


ところで、四国八十八カ所の第二十四番霊場、室戸岬にある最御崎寺(ほつみさきじ)の近くに空海が修行したという岩窟があります。

kuukai1.jpg

その岩窟の奥は、海に向かって貫通しており、そこからは海と空だけが見えるのです。
空海の名前は、その空と海にちなむといいますが、一度そこへ行ってみたいものです。


数珠を手に果たして、私達は空海と同じ様に悟れるものでしょうか・・?
ラベル:空海
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2014年07月01日

お盆の起源

お盆の起源は「仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)」にあります。


お釈迦さまが祇園精舎におられた時に、神通力を得た目連が亡くなった自分の母のことが気がかりになり、神通力で様子をうかがうと、母は餓鬼道に落ちて苦しんでいました。


お釈迦様に相談すると、修行僧たちに飲食をふるまえば、その功徳によって救われるだろうと答えられたのです。
目連は、そのように飲食をふるまうと修行僧たちの喜びが母にも伝わり救われたとあります。


インドでは6月から9月までは雨期に当たり布教の旅に出られないので、僧院にこもって厳しい修行と勉学に専念します。
その雨安居(うあんご)が明けると在家の人たちが僧侶にごちそうを振る舞う習わしがあるのです。
この功徳によって目連の母が救われたのです。


この故事にちなんで、僧侶に飲食をふるまえば先祖が救われると考えられるようになり、お盆の先祖供養の起源になった様です。


ただ、不思議なことにインドではお盆という行事はないのです


一方、日本ではもともと先祖供養が盛んでしたので、盂蘭盆経が伝わると、お盆に迎え火と送り火の行事になったのです。


言い伝えはともかく、先祖を敬う姿勢は貴重であり尊いものだと思います。
その気持ちさえあれば、集団的自衛権などといった愚かな発想は湧いて来なかったでしょうに・・。


お盆には盆提灯と数珠を携えて亡き人やご先祖を偲ぶ時を作っていく。
これが何よりの日本の伝統芸だと思います!
ラベル:お盆
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2014年06月30日

キリスト教徒と仏式葬儀と数珠

キリスト教徒の人は仏式葬儀に参列する時に数珠を持っていくのでしょうか?


ヤフー知恵袋で興味深い質問と回答を見つけました。

(質問)

「キリスト教信者の皆様は仏式葬儀のときに数珠をもっていきますか?信者の中には焼香や香典を拒否したりする人もいるそうですが、大部分の人はそこのところは合わせていますね?数珠は仏教徒が葬儀でもっていけばいいとマナーの本で見たことがあります。

自分は別に仏教徒ではないので(カトリック信者になる予定。家は仏教徒ではない)、数珠をもつのに抵抗があります。仏教徒でもないのに、数珠をもって仏教徒のふりをすると、仏教の神様に申し訳ないような気がしますし。

私は仏式の葬儀のとき、焼香と香典は普通に済ませていますが、数珠はもっていきません。葬儀に行くと数珠をもってきていない人もいるので、たいした問題ではないかもしれませんが、気になったので質問してみました。 」



この質問への模範回答です。

(回答)

数珠を持つ持たないはその人自由ですから、持ちたくないなら持たないでいいのではないでしょうか

そもそも数珠もロザリオも起源は同じ、祈りの数を数える道具です。それぞれの宗教に適する(便利な)数と形にはなっていますが、基本的に「異教のもの」と忌み嫌う理由はあまりありません。ロザリオも数珠も切れたりわれたりしたら交換します。道具です。

むしろ焼香の方が宗教的な意味があるのです。こちらを拒否するキリスト教徒がいるのはうなづける話です。焼香をしないキリスト教徒を攻撃する人がいますが、それは間違いと思います。」


数珠はお経の回数を数える道具だと学びましたが、ロザリオも同じだったのですか・・。
数珠は道具だから拘らないが、焼香には意味がある・・。
何となく分かった様な分からない様な・・。


日本人は仏教徒が大半ですが、いずれにしても余り宗派には拘りません。
また、殆どの人が宗教戦争などとは無縁のものでしょう・・。


素直に道具としてのそれなりの数珠を備えておきたいと思いますね!

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2014年06月21日

お釈迦様の姿

お釈迦様の姿と言えば、どんな格好を思い浮かべられるでしょうか?


お太子さんなどに行きますと入滅時の横たわった涅槃像が目につきます。
見たことはないのですが、お生まれになった時の天上天下唯我独尊を唱えられた時は、上半身裸で天と地を指すポーズの様です。


また、釈迦如来像は法隆寺が有名ですが、鎌倉の大仏さんを引き合いに出すまでもなく阿弥陀如来のイメージです。
尤も阿弥陀様は現実の仏様ではなかったので、あくまでイメージの姿ではありますが・・。

syaka.jpg

そんな中、奈良の国立博物館には出山釈迦如来立像があります。
14世紀の南朝時代のものだと言われます。


この立像は山を下りるときの人間ブッダの姿であり、修行者として苦行の生活を送られたのですが、単に苦行だけでは悟りが得られないとして山林を出るときのものです。
ですから、あばら骨が出て弱弱しそうな格好です。


しかし、逆にお釈迦さまも挫折や変転があったという人間としての弱さを持っておられたところに親近感を持つものです。


余り立派な姿ばかりでは、とても近寄りにくいものですが、ボロボロになって苦労し、そこから這い上がって悟りを開いた、或いは悟りを開くための過程が苦行という試行錯誤であったというところに人としての現実味を覚えるところです。

syakaritu.jpg

色々なことを経験してみるのは、決して悪いことではないし無駄にもならない、いや無駄にしないことが大事だと感じるのです。


そのお釈迦様の教えの片隅にも数珠があります。

ある国の王様が、我が国は、貧弱で五穀実らず、常に戦乱があり、しかも悪病流行して国を治めることが困難で大変忙しくしております。政治を執りつつも仏の道を修行して行きたいのですが、どうしたら良いでしょうか?と聞かれました。


するとお釈迦様は、
「それは難しいことはない。無患樹(むくろじゅ)の実を百八個糸でつないで輪を作り、それをいつも身から離さず隙あるごとに、心から南無阿弥陀仏を称えれば、心は静まり、煩いをのぞき、人々の心も安楽になり、国家も安泰になるでしょう」と仰せになりました。


これを聞かれた王様は、非常に喜ばれ、早速無患樹の実を沢山集めさせ、千の数珠を作らせ、親戚や家来にも持たせ、王様自身はいつも手から離さず、心より、南無阿弥陀仏を称えられたといいます。


私たち人間は、ある意味でとても弱い心を持っています。
だから何かよりどころが欲しいのです


そのよりどころには色々なものがあると思いますが、108の煩悩に通じる数珠は将にピッタリのモノかもしれません。


数珠を手にした時に感じる心の平穏が、それを物語ってくれていると思います・・。
ラベル:お釈迦様
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2014年06月18日

数珠とオイラの都合

数珠を握るという行為は、どちらかと言えばモノを頼む、神様にお願いするというイメージが多いと思います。
少なくとも庶民には、お経の数を数えるという数珠本来の使い方には縁がありません。


吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」は、ぶっ飛んだド田舎の若者?の楽しく恐れ多い歌です。

「まったぐ若者ア俺一人 婆さんと爺さんと数珠を握って空拝む・・」
ド田舎に育つ若者が、たった一人きりなので東京へ出て、馬車を引いて銀座で山を買う」
という歌です。


夢は持つものです。
夢見るものです。
環境に怯んではなりません!


オイラの都合を最優先すればいいのです


ユダヤの古い童話に「空飛ぶ馬」というのがあります。

ある男が王様の怒りを買って死刑を宣告されました。
男は「王様が大事にしている馬が空を飛べるようにしますから、どうか命を助けて下さい」と嘆願します。


王様は内心疑いながらも1年の猶予を与え、本当に馬が空を飛べるようになったら釈放してやると約束しました。


男は大喜びですが、囚人仲間は彼を馬鹿にしました
馬が空を飛べるはずはないので、1年後に死刑になるのに何を喜んでいるのかと。


すると男はこう反論しました。

「ひょっとしたら1年以内に王様が死ぬかも知れないじゃないか。あるいは、馬が死んでくれるかもしれない。いや、俺が死ぬかもしれない。
間違って、馬が空を飛ぶようになるかもしれない。何が起こるか分からない。それで俺の命が助かるかもしれない。だから喜んでいるのだ・・。」と。


変に賢くなった日本人は、先のことをアレコレ心配しがちなのです。
数珠を握って空拝むぐらいの鷹揚さがあっていいはずです


1年の執行猶予をもらった男がどうなったのかは知りませんが、少なくとも半年以上はのんきに構えていたでしょう・・・。


数を数える道具の数珠が、希望と夢を叶えてくれる秘密のアイテムに早変わりしたとすれば、随分とした出世です。
オイラの都合、もっともっと真剣に考えてみるのがいいかもしれません!


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2014年06月17日

百八個の数珠玉

百八個の数珠玉について、ひろさちやという哲学教授が百八の煩悩を現しているのではないと言っています。
それは、ヒンズー教から来たもので、ヒンズー教のシヴァ神の名前を唱えていく時に、何回唱えたか数える道具だといいます。


シヴァ神には百八の異名があるのです。
黒き者とか、虎の皮をつけた者とか言う名前が百八あるそうです。
その名前を一つ一つ唱えながらシヴァ神の像を頭に浮かべると、シヴァ神と一体化できるという信仰です。


日本でも数珠は数えるものという役割については同じですが、その数は煩悩であったりお経の数であったりと転化しています。


私たち一般人は、神様や仏様の像を思い浮かべることは出来にくいものです。
法然上人が、仏の像を観念することが出来なくてもかまわない、南無阿弥陀仏と口で唱えるだけでいいと言ってくれたので救われているのです。


ところで、その昔平安貴族は大変だったようです。
というのは、当時に三千仏と言って仏様が三千体もあったのです。
その名前を覚えて全部唱えねばならなかったのです。
間違えたら大変なので三千の名前を正確に唱えなければなかったようです。


そして、年末には仏名会を行って自分がやった悪いことや間違ったことを仏さんにお詫びする法会でした。


三千の仏様に許してもらうのが大変だったので、プロの坊さんに頼んで我が家の仏名会に来て下さいとなった様です。
だから、お坊さんも12月は忙しくて走りだしたようで、これが師走の由来だとか・・。


数珠の数から飛躍してしまいましたが、仏様の名前を唱えるための道具が数珠というのは納得できるものです。


もしも今の時代に平安時代の仏名会があれば、今の政治家は、やった悪いことを詫びるのに12月だけでは足りないのではと感じた次第です。
煩悩も百八では済まないでしょう。
仏教の心が政治に浸透すれば、もう少し日本も良くなるかもしれませんね・・。








ラベル:数珠玉 百八個
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2014年05月06日

韓国旅客船沈没

韓国旅客船沈没捜索の民間潜水士が死亡したといいます。


韓国の旅客船「セウォル号」沈没事故で、韓国政府の事故対策本部は6日、捜索活動に参加していた民間潜水士が死亡したと発表しました。
先月16日の事故以来、潜水士の死亡は初めてです。


聯合ニュースによると、この民間潜水士は6日午前6時頃、初めて捜索活動に投入されました。
潜水から5分後に連絡が途絶え、韓国海軍の潜水士によって救助されたのですが、搬送先の病院で死亡しました。


今回の韓国旅客船事故では、人間の醜悪なミスが続出しています。
真っ先に逃げ出した船員たちも勿論悪いのであるが、どうも船員は旅客船が危ういと早くから判断していたのではないだろうかと思われます・・?


事故の根本的な原因は、船会社の人命軽視の過剰積載やその背景にある儲け主義だと思います。
甲板に設置されていた救命いかだも使用不能であった様で、それを船員たちは知っていたとか・・。


それにしても助かった学校の先生が、生徒に申し訳ないと自殺したり、助けに向かった潜水士の死をはじめ200人以上の修学旅行の高校生の死は、この事故がなかったらありえなかった出来事なのです。


韓国のお寺にも仏様が祭ってあり、108個の数珠も日本と同様にあるのです。
韓国のお寺では、色とりどりの韓紙をきれいに貼り付けて作る燃灯を灯し、心の中の無明が無くなることを願います。


また、玉を一つずつひもに通して作った108念珠を回し、仏様の名号を唱えて、心が平安になることをお祈りするといいます。
こうした事故に対して、仏様はどんな風にして私たちを救ってくださるのでしょうか・・?
ラベル:旅客船沈没 韓国
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2014年04月23日

数珠とお釈迦様

数珠とお釈迦様には関係があります。


昔、お釈迦様がおられた時、難陀国(なんだこく)の毘琉璃王(びるりおう)が使をもってお釈迦様に尋ねたのです。


「我が国は、常に戦乱があるために、五穀実らず、しかも悪病流行して国を治めることが困難で多忙であります。政治をとりつつ仏の道を修行していきたいと思いますが、どうしたならばよいでしょうか。」


するとお釈迦様は、「それは難しいことではない。無楼子(むくろじ)の実、百八を糸でつないで、珠数をつくり、それをいつも手からはなさず、隙あるごとに、心から御仏の御名を称えつつ一つずつ、つまぐれば、おのずから心は静まり、煩いをのぞき、正しきに向い、間違いのない政治をすることが出来る。」と仰せになりました。


これを聞かれた王様は、早速無楼子の実を沢山集めさせ、千の珠数を作られ、親戚や家来どもに持たせ、王様自身は、いつも手からはなさず、隙さえあればつまぐって、心よりみほとけの御名を称えられたそうであります。

 
これが珠数の始まりといわれています。

osyaka1.jpg

お釈迦様は、阿弥陀さまのことを引き合いに出して、仏教を広められました
難しいことは何も考えずに、ただ阿弥陀さまの名前をお呼びして縋るようにと・・。


その教えは、インド、中国、朝鮮を経て今から1500年前の西暦550年代に日本へ伝えられました。


その後、平安、鎌倉と日本仏教の発展に伴って、念珠も形の進化をしていきます。
平安時代初期の「最澄の天台宗」、「空海の真言宗」、そして鎌倉時代に「法然の浄土宗」、「親鸞の浄土真宗」、「栄西の臨済宗」、「道元の曹洞宗」、「日蓮の日蓮宗」等の宗派が成立し、念珠もそれぞれの宗派の教義の違いによって独特の形式を生み出していきました。   


数珠の基本的な百八個の玉をつないだ輪は変わりませんが、そこに付く弟子玉や房の形状によって区別されるのです。


江戸時代になると、持ち易い様に大きな輪(百八個の玉)を半分にしたり、四分の一にしたりして、ちょうど掌の周りを一巻きする大きさの念珠が使用されるようになり、今では様々な玉を使うことにより個数も様々です。
いわゆる片手念誦と言って略式の数珠で持ち易い様になり、その数も少なくなっているようです。
宗派ごとの数珠も地域によると思いますが、余り厳しく言われることはありません。


お釈迦様の教えからすれば、数珠の形式が問題なのではなく、数珠を持つ心のはずですね!
私達は、ついつい本質を忘れがちになるものです。
数珠の数には、煩悩と共に、そんな戒めもあるのでしょうか・・・。
ラベル:お釈迦様 数珠
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2014年04月18日

数珠 魔除け

数珠は魔除けになると言われています。


念珠は『数珠』、『寿珠』などともいわれ、幅広く普及していますが、そもそも本来の意味は、お念仏を読む回数を記憶するためのもの。つまり、『数を念ずる』、『数を記す』ためのものとして生まれました。


一方で、お葬式はもちろん、魔除け・厄除けのお守りとしても使用されています。
また、お祝い事や、アクセサリーとして使用する場合も増えており、現在ではその利用性はとても幅広くなりました。


お釈迦様が修行をされた時も、魔と戦ったという記録もあります。
ただし、その時には数珠はなかったと思います。


ところで、数珠はイスラム教でも重要な礼拝道具であり、男性も女性も持ち歩いています
ただ、この数珠は礼拝ではなく、魔除けのためのもので、自動車のバックミラーにかけられているのを、よくみかけます。


中東地域では、魔除けとして目をあしらったアイテムが多用されています。
この場合の魔とは、他人からの嫉妬の視線、すなわち「邪視」のことです。


お国柄にもよりますが、幽霊や悪魔と言っても確かに人間が想像するものですから、将に様々です。
ただ、数珠を持つ人が納得して魔除けだと信じるならば、それはそれで立派なアイテムだと思いますね・・。



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2014年03月27日

数珠と108の煩悩

数珠と108の煩悩とは、どんな関係があるのでしょうか?


数珠玉は108あるのが正式なもので、私たちが多く使っている数珠は、その簡略のものです。
だから108もありません。
108は煩悩の数とも言われますが、多分煩悩はもっと多いはずでしょう・・・。


数珠の108の数は、お経を読むのに繰り返しのフレーズが多いため、何度読んだかを忘れないためだと言われています。
これが現実的で、多分正解ではないかと思います。


ただ、108というのは実際の数というよりは、とても多い数の象徴としての意味もあります。
例えば、煩悩は、8万4千もあるのでそれを108で代用したというような・・・。


ところで、煩悩とは一体何物でしょうか?

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難しく言えば人間が持っている悪とか毒とかのことで、五悪心とか三毒とか言われるものを指すものと思いますが、簡単には所有欲や食欲、性欲など私たちの心を悩ませるものということだと思います。


私たちには、考えて分かっていることと、そのようの行動することとの間に随分とかい離することろがあります。


例えば、酒やタバコの飲み過ぎは体に悪いと分かっていても中々止められません。
人殺しや物を盗むこと、親不孝をすることは当然悪いこと、倫理に反することだと分かっていますが、ついついそれらを犯してしまうことがあります。
百万円を盗むのは悪いことだが100円なら許されるということでもありませんね・・。


そうした心と行動のかい離を、どのように調整したらいいのかは難しいものです。
法律で罪に対して罰を与えても、後追いに過ぎませんし、それで治ったり解決する問題でもありません。


そうした難しい問題を解決するために、例えば仏教などに投げかけているのかもしれません。
「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」と親鸞が教えてくれたのは、ただ南無阿弥陀仏を真摯に唱えることが他力本願の心で、阿弥陀仏にただただ縋りなさいということでした。

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数珠を手にしただけで、そこまでの心境になれないのは、やはり煩悩が多過ぎるからでしょうか


真珠念珠 片手用

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2013年07月08日

数珠 意味

数珠の意味については、色々な説明がありますが、人間の煩悩を数珠が引き受けてくれると解すると救われる気持ちになります。


もともと数珠の利用とは、お念仏を読む回数を記憶するためのものです。
つまり、『数を念ずる』、『数を記す』ためのものとして生まれたとされますが、お経は繰り返しのフレーズがとても多いので、読む回数を記憶する為の道具とは尤もな話です。


ただ、雑念を捨てひたすら念仏を唱えるのに数珠は単純明快な道具だと言えます。
そして、僧侶が数珠に頼ることが多くなってきて数珠にもハクが付き、お葬式はもちろん、魔除け・厄除けのお守りとしても使用される様になったのでしょう。


また、今ではお祝い事や、アクセサリーとして使用することも増えており、その利用性はとても幅広くなってきた感じがします。


数珠は、いつも手にかけているとお守りになるといわれますが、仏、菩薩の世界とあなたを結ぶ掛け橋となる、大切な品でもあり、それなりのモノを落ち着いた感じで身につけていれば、それだけでカッコいいものですね・・。


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小さなお仏壇



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