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2014年07月05日

西本願寺と東本願寺

西本願寺と東本願寺は京都駅のすぐ近くにあり、とても目立つ大寺院です。
本願寺は、どうして西と東に分かれているのか疑問に思う人も多いと思います。
要は、昔も今も宗教と政治は切っても切れ離せないといったところでしょう。


宗教対立は色々とありますが、イランやイラク、アフガンで表立った泥沼の対立がむき出しになっているイスラム教のスンニ派とシーア派は、本来将に宗教的な対立です。


1500年前にマホメットがイスラム教をはじめ、そのマホメットの死後の後継者で対立が起こりました。
マホメットの次に力のあった有力者を後継者としたのがスンニ派で、マホメットの娘婿を後継者にし、マホメットの子孫を代々の後継者としたのがシーア派です。


この様にスンニ派とシーア派は、成立時に対立したものですが、その対立の怨念を煽って後々の政治的利用がなされてきました。


国家運営に都合のいい様に対立や恨みを増幅してきたのです。
人間の生き方を問う宗教と言えども、経済的な観念の入った政治や人間の欲には敵わないのかもしれません・・。


ところで、日本の西本願寺と東本願寺です。
1592年に11代門主の顕如が亡くなると、長男の教如が12代を継ぎました。
しかし、豊臣秀吉と不仲だったので僅か1年で引退を迫られました。


その結果、三男の准如が門主となったのです。
これが西本願寺の始まりです。


その後、全国統一した家康は巨大化した浄土真宗が一揆の温床となることを危惧し、本願寺内部の混乱を利用して長男の教如に東本願寺を建てさせ勢力の分散をしたのです。


時の為政者が一揆などの混乱を避ける画策をするのは世の習いでしょう。
こうした政治的背景で西本願寺と東本願寺に分かれることになったのですが、イスラム教のような殺し合いをする宗教対立に至らないのは、仏教だからでしょうか?
それとも日本人の比較的穏やかな性質によるものでしょうか?


西本願寺と東本願寺が日本の古都の駅前にシンボル的に存立すること自体が、仏教の誇りであり日本人の誇りかもしれません。
ただ、そんな誇りも多少寂れてきているように感じるこの頃であります。
数珠を手にしたときの敬虔な気持ちは、忘れてはならないと思います。


posted by yasuucare at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 浄土真宗 数珠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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